櫻井翔 未来への言葉展に行ってきたよ

 

f:id:natsuki125:20230423191328j:image

 

最高でした;;

 

櫻井翔 未来への言葉展とは

嵐、歌手、作詞家、キャスター、司会者、俳優など、様々な立場や活動を通じて、何かを「伝え続けて」いる櫻井翔。この展覧会は、硬軟合わせた「伝え続ける人」 櫻井翔その人となりと、その視線の先に見えているものを視覚化し、共有するものだ。明るく、冷静に、時には強く、実直に、けれど茶目っ気と笑顔を忘れずに。“音と言葉つむぎ 描く芸術”――備えるはいつも「言葉」、そして視線の先にあるのは「未来」。カラフルな「ことばパーク」をイメージした会場には、櫻井の言葉や、言葉から発展した7つのインスタレーションが。より多くの人が櫻井の 「言葉」をポジティブにわかちあい、 よりよい未来と社会をつくるきっかけになれば、との願いが込められている。(THE FIRST TIMES)

先日、六本木で翔くんの言葉を浴びてきました。2007年に出会ってから彼のことはずっと好きですが、改めて「ああ、わたしはこの人を自担に選んで本当に良かったな…」と心から思いました。冒頭いきなり激重感情でごめんなさい……

以下、展示内容そのものについてのネタバレはありません。しがないオタクが"翔くんの言葉"について考えたことをつらつら語っているものになります(6000字超)。

ちなみに展示内容について知りたい方はこちらの記事をご覧下さい。翔くんが長年連載を持っているCasa BRUTUSさんが展覧会をとても丁寧にレポートしてくださっています。大変ありがたい…。

 

翔くんにとっての「言葉」

櫻井翔はずっと、本気で、言葉に向き合ってきた人です。当時アイドルとしては異例でしたがラップのリリックを自分で書いて、キャスターとして見たもの感じたものを自分の言葉で視聴者に届けてくれて、政治や経済へ関心を持つことの大切さを言葉を尽くして語ってくれて、大型番組のMCやバラエティ番組でゲストを立てつつも進行通り綺麗に捌いて、そして、嵐のスポークスマンとしてファンに向けて嵐の向かいたい方向を都度説明してくれる人でした。

これ、全部彼の「言葉」という武器による仕事なんですよね。華やかな遠い舞台で歌って踊ってまぶしく輝くアイドルだけど、同時に常に思考を巡らしながら同じ時代をリアルタイムに生きる1人の人間で、そしてこの国に生きる国民の1人でもある。こんなに長い間「今、何を考えているのか」を言葉にして発信し続けてくれていたんだなあと、言葉展を経て改めて感じました。

 

自論ですが、何かを読んで理解するというプロセスを分解すると「潜在的に考えていたことを言語からアプローチされる⇒考えていたことの解像度が上がり輪郭がハッキリする⇒組み上げて取り扱い可能な"論理"が形成される⇒自分の脳内に整理して保管できるようになる」だと思っています。

だから"今、何を考えているか"をたくさん発信してその都度理解させてくれるアイドルは、その対象の"好きな理由"を構成する論理の材料をたくさんくれる人なんですよね。「なんとなく好き」ではなく「こういう理由で好き」と理解しやすくなるし、他人にも説明しやすくなる。

そして、なんとなく思っていたことを誰かに綺麗に言語化してもらった時、「なるほどー!すっきり!」の気持ちももちろんありますが、「ああ、この感情を共有できる人がいるんだな」ってこと自体が嬉しい時、ありますよね。櫻井担、そんな気持ちを何回も自担から貰ってるんですよ。ほんと感謝しかない。

※余談ですが、わたしは選挙権貰ってからまじで毎回欠かさず選挙行ってます。櫻井担なので。

 

わたしにとっての「言葉」

ちょっと自分語り失礼します。(読み飛ばしていただいても結構です)

わたしが初めて翔くんの言葉に触れたのは、サクラ咲ケのラップ詩でした。当時中学受験を控えていたわたし。他の友達がみんな楽しく遊んでいるのに、わたしだけ毎日塾に行かなきゃいけなくて、しかもこんなに頑張っているのに合格できるかどうかも分からない。そりゃ第1志望の素敵な学校には行きたいけれど、親も先生も「頑張れ」って言うだけで、わたしの辛さを誰も分かってくれない…っていうかもう結構頑張ってるんですけど!?!?これ以上まだ頑張らなきゃいけないの!?!?!?無理!!!!!!!!!

そんな時に出会ったのが、翔くんのこの言葉でした。

「右へならえ」から踏み出すこの一歩を
打った点が分ける結果 陰と陽

だから知っとこう 生きるヒントを
かすむ蜃気楼すらも掴む勢い

今 蒔けば種 花咲かす
やった後言うなら まだ分かるんだ
そう そりゃ時間なんてのはかかる
春には 大きな花を咲かす

(嵐/サクラ咲ケ)

「………そうだな」って思いました。

「合格」を目標にしても実現可否もわからないし、合格したところで何かしらが保証されるわけでもない。でも、みんなが遊んでいる中本気で受験勉強を頑張った経験って、この先わたしの人生を絶対豊かにしてくれる。っていうか、何も考えずただ遊んでいる人達より、早い段階で自分の人生のために勉強しようと決めたわたしが報われないわけなくない?

今から思えば乱暴だし、多大な僻みの感情が見え隠れするので「やめなよ…」と窘めたい気持ちもありますが、なんかこういう妙な反骨心が芽生えて、わたしは無事第1希望の中学に合格できました。1年前まで算数が苦手すぎて150点満点中18点とか取ってたのに……………(マジ)

 

中学入学後も家が厳しかった上に、ちょっと背伸びした学校に入ったので勉強が中々追いつかず、TVもゲームも雑誌も禁止でしたが、そこは当時爆発的人気だった嵐。友人知人伝いでわたしに会いに来てくれました。その中でなんとなく翔くんのことが気になって掘り下げてみたら、いつの間にかどんどん好きになった。でも、なんというか、決して自分から選んだ自担ではないんですよ。わたしの狭い世界にわざわざ来てくれて、手を差し伸べられたから取っただけなのに、こんなに長い間好きでいるなんて正直思ってなかった。

大学入るまでお小遣いが月500円しかなくて、自分でなにかを買うこともほとんどできなかったけれど、それでもあまりに供給が多いもんだから、わたしなりに好きでいられた。少しずつアクセスできる幅が増えて、いつしか自分でお金を稼げるようになって(かつ、わたしの色んな面での心の準備もできたので)、札幌ドームまで嵐に会いに行った。その時に言ってくれましたね。

今日初めて嵐のコンサートを観に来てくれたあなた。

ようこそ、嵐のコンサートへ。

我々は、あなたが嵐のコンサートに来ることをずっと待っていました。

(ARASHI Anniversary Tour 5×20)

ああ、きみを好きで良かった。

きみをアイドルとして推してきたこれまでの全ての毎日、わたしは本当に幸せでした。

文字通り、翔くんの言葉に救われた経験でした。

 

展示について(ネタバレなし)

翔くんの言葉をものすっっっっごい密度で浴びることになります。一言一句逃したくない方はまじでメモを持って行ってください。取材か!?って思うくらい分厚いノートにペンを走らせ必死に書き留めてるオタクたちを見て、櫻井担らしいなあと思いました。

なおわたしはメモを持ち歩く習慣をすっかり忘れていた上に一部のエリアを除いてはスマホの使用も禁止だったため絶望しましたが、大丈夫です。「櫻井翔 ことばの箱」を買ってください。網羅はできていないものの、いくつかの言葉を持って帰ることができます。ほら、言葉って良さを真空パックできるじゃないですか。いつどこでそのパックを開けても、翔くんの紡いだ言葉に直に触れられる。自担が言葉を武器にしてくれて良かったなあってこれほど思ったことはないです。わたしはヨボヨボのおばあさんになっても老人ホームにこの箱を持っていく所存です。そしてどうか棺桶にも入れて、わたしを大好きな言葉と一緒に燃やしてください。

あとグッズがまじでかわいいのでたくさん買いましょう。"アイドル・櫻井翔くん"のアクスタはたぶんこの期を逃すと一生買えないです。

 

自担と同時代を生きる

わたしは、アイドルの1番の魅力って同時代性だと思っています。

小説も、映画も、不朽の名作ってあるじゃないですか。時を経ても色褪せない魅力があって、そして同時に触れる時々の精神状態や時代に応じて別の顔を見せる。1000年前に書かれた物語に感動することもあれば、今とは全く違った風俗や価値観ゆえの義理人情に心を踊らせたり、時代背景への想像力も含めて物語の魅力だったりする。

でも、アイドルは絶対絶対絶対、リアルタイムがいい。

2つ理由があって、1つはわたしがアイドルの好きになり方として「推しの伝記を編纂する気持ち」でいるので、リアルタイムに推しの人生の積み重なりを追いかけたいから。わたしは所詮他人だし、わたしが眺めているのはアイドルという虚像なので、推しの全ての人生を知っている訳ではないです。なので、わたしが集めたエピソードからわたしが想像した人格を元に、推しがどんな人生を辿ったのかを"物語"として摂取している感覚なんですよね。だから、自分の編纂する伝記に採用するかしないかはともかく、毎日何かしらのエピソードが世の中に生まれてゆく様を目撃できるのはたまらなく面白い。そして、お互いが人間である以上、もしかしたら明日この筆が止まるかもしれないというヒリつきと隣り合わせだからこそ、"今 目撃できていること"の尊さが増す。

思春期そのものの言い換えでもあるアイドルは、その若さや未完成さ、目を見張るような成長で「今・ここ」の煌めきを、生命力を、強烈に体現する。そのいっぽうで、いやだからこそ、いつかは終わってしまう期間限定の儚さも持っている。したたかなのに脆弱で、溌剌としているのに死に近い。

(ユリイカ2019.11 臨時増刊号 総特集=日本の男性アイドル←めちゃくちゃ読み応えあるのでおすすめです。なんとkindleで買えます)

 

そしてもう1つは、自分の実人生とのリンクが、またアイドルの物語にプラスされてゆくから。オタクの皆さんなら心当たりあるんじゃないでしょうか。めちゃくちゃ人生辛い時期に這うようにして行ったコンサートで神席を当ててまた頑張れただとか、推しの出演ドラマで扱われたお仕事に興味を持って進路にしてみたら意外と自分にとっても天職だったとか、とある曲の歌詞がぶっ刺さってしまって仕事なり勉強なりの背中を押してもらっただとか、この時期、この人に出会っていて良かったなあ〜!という個人的な感謝が乗っかることでより一層魅力を強固にしてしまうこと、ありますよね。

 

だからこそ、わたしはアイドル・櫻井翔のこの言葉が一番好きです。この生き様が好きです。

MY LIFE IS MY MESSAGE

(櫻井翔/Hip Pop Boogie)

余談ですが、午前中に早起きしてとある映画を見ていたのですが、上映前にハリケンジャー20周年記念映画の予告が流れました。それを見たわたし、「20年間めいいっぱいアイドルとして生きた櫻井翔くんに、これまでたくさん幸せにしてもらったなあ…」となんか知らんが号泣。自分でもびっくりしましたが、涙が止められなかった。だって20年だよ。もう感謝しかない。

 

エピローグ

わたし、イモトの安室ちゃんへの"好きの姿勢"がとっても好きなんですよね。

「(安室ちゃんの引退後頑張れる?という質問に対し)分からん!でも、頑張れる。だって、それで頑張れなくなったら、安室ちゃんが悲しむでしょ?」(2018.7.29放送 世界の果てまでイッテQ)

13年間ずっと一緒にいた人だし、大好きだから、そりゃ嵐の活動休止は寂しかった。もちろん今でも"タレント・櫻井翔"はいるけれど、わたしが好きだったのは"アイドル・櫻井翔"なんですよ。でも「物語の終わり*1」にあれだけ誠実に寄り添ってくれたし、いつか終わらなければならないのなら、あれ以上綺麗な物語の閉じ方をわたしは知りません。わたしの大好きな"嵐"の"アイドル"櫻井翔くんのいない世界だけど、たくさんの勇気と愛と言葉を貰ったわたしは、この国が昨日より少しでも良くなると信じて、わたしのできることを頑張っています。

だから、わたしは二宮くん出演の映画「ラーゲリより愛をこめて」を見終わった時、優しい物語に涙した一方でシベリア抑留のことをほとんど知らなかったんだなって反省しました。そりゃ教科書で1~2行は触れたけど、それだけ。この国に起きた歴史なのに、その背景も理由も辛さもなにも知らないのに、ただエンタメとして感動話の部分だけ摂取するのはなんか違うなと思って*2、言葉展に行く日の午前中に、新宿にある平和祈念展示資料館に行ったんですよ。ハリケンジャーの予告を見た映画鑑賞のさらに後ですね。詰め込みすぎ…

平和祈念展示資料館:さきの大戦における、兵士、戦後強制抑留及び海外からの引揚げの関係者の労苦に関する資料の展示を行う施設

 

そこで、こう思った。

 

そうしたら、言葉展で久しぶりにこの言葉に出会いました。

今から48年前、祖父が伝え*3、そしてその46年後、僕が伝えたことがありました。当時の伝えることへの思いをこの度知り、今、運命めいたものを感じています。ただ、僕なんかじゃ伝えられないことがたくさんあります。僕なんかじゃ届けられない方々がたくさんいらっしゃると思っています。でも、僕じゃないと伝えられないことがある、僕じゃないと届けられない方々がいる。思い上がりにも似たそんな思い込みをしながらこれからも伝えていきたいと思っています。過去を知ることは抑止力になる、今を知ることが背中を押してくれる。だから、僕は伝えてきます。過去を、そして今を知ることでしか未来への種は撒けないから。

(2017年 日本テレビ系 24時間TV「櫻井翔の告白」)

わたしという人間の根底の部分って、やっぱり翔くんの言葉によってできているんだなと実感した瞬間でした。

言葉は人を作る。だから、櫻井翔は言葉を紡ぎ続ける。わたしの中に、翔くんを好きだった13年間がちゃんと蓄積してるんだなって思いました。これから先の人生も、この宝物たちと一緒に生きてゆきます。

 

大好きです。きみが自担で本当に良かった。

 

*1:ここは色んな解釈があっていいと思いますが、わたしは彼らが優しいから「活動休止」という表現を使ってくれているだけで、実際にはもう嵐の活動は終わったのだと捉えているタイプのオタクです

*2:個人の見解です

*3:翔くんのご祖父さまは新聞記者でした